思い出 記憶の玄関 2020/8/11

思い出 記憶の玄関 2020/8/11
その夜、疎開先の玄関に出て、冷たい空を見つめる、飛行機のような物体が数基飛んでいた。暗い中に音と響きが記憶に残る。戦争末期であろう、私たち一家は昭和19年の春ごろに東京から栃木県に疎開した。
玄関と言っても硝子戸と部屋の堺もない程の粗末な家である。その玄関、今でも何かの夢の中に出てくる。
ある時、その玄関に、夜中男性が侵入してきた、付き添え男性がしきりに侵入男性を押さえている、なんと 酔っ払いのこの男性はこの町の警察署長さんである。父はその署長さんの前に眠そうに正座していた、そして署長さんが「玄関には鍵をかけておくように」と言ったのである。だが玄関には鍵など無かった記憶がある。
玄関の前はすぐ大通りになっていた。食料不足が続く毎日に父は玄関先に小さな木枠に土を入れて菜園を作った。父は名案をいたり の気分に違いないが、その小さな芽が出たか出ないうちに壊されることになった。警察から道路に、出ているので違反と言う事である。どいう訳かその玄関は私の戦争に関する思い出が多い。今はその家はないが、その場所に行くと、「この辺りが玄関」と孫や息子に言うが私だけしか知らない玄関である。

 

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思い出 騙された1000円、1000円 2020/8/9

思い出 騙された1000円、1000円 2020/8/9
連れ合いが行った台湾での事。40年は経っている昔の事。
バスの駐車場で、若いお姉さんが一緒に写真を撮ってくれと満面の愛嬌を振りまくので、それに誘われて撮った。ここまでは、外国に行った緩んだ気持ち。すると、1000円 1000円と言ってよくわからぬ日本語を使う。「写真を撮ってそのモデル代」と思ったという。だが、「住所をこの紙に書け」と紙を出すから書いた、その出来上がった写真を送ってくれるのかのような感じがしたと言う、慌てて書いたので間違った住所でも書いたか?
そして1000円を日本円で払った。それから何カ月たっても写真は送られないから やっと 騙された と気が付いた間抜けな日本人観光客である。今でも何かにつけて1000円、1000円は我が家の珍言葉になっている。
だまされるのもこの位なら良いが、住所まで書いたのだから、なんとまあ危険を感じなかったのだろうか?とフト思ったおばさんである。

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思い出  T子ちゃんのお父さんが戦争から帰って来た日 2015/4/3記 2020/7/20

思い出  T子ちゃんのお父さんが戦争から帰って来た日 2015/4/3記
その日は雨が降りそうな日であった。小学4年頃か?T子ちゃんの家は広くて裏には倉があり庭も大きくあった。姉、兄、母、祖父母と大家族である。稼業は何をしていたか当時はしらなかった。昭和24年頃か時代劇のテレビで見る商店の作りで帳簿を付ける机や土間から、上がり框やその佇まい はまるで時代劇の商店そのものであった。だが当時はその商店は機能していなかったようである。その店先で敏子ちゃんと遊んでいた。その時に大きなリュックを背負った大きな男性が入り口に立った。
私を見ると“T子か”と聞くが、当のT子ちゃんはキョトンとした顔で誰とも認識していない様である。もちろん私も何が何だか分からない。そこに母親が出て物凄い驚き様である。私はここにはいない方が良いと子供ながらにとっさに判断をして、少し雨がふりかかっていた大通りに出た、あちこちの家の軒下を渡り歩きながら帰宅した。
あくる日、教室で担任のk先生だったと思うがT子ちゃんに「お父さん帰ってきたね」と声を掛けられてた時に“おとうさんなのか”と改めて感じた、昔の強い思いでの一つである。

 

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思い出 にぼし悶着 2020/6/22

思い出 にぼし悶着 2020/6/22
昔 母が隣のおばさんと話していたのをフゥーと思いだしました
にぼしをそのまま一匹を出汁として入れるのと、半分に折っていれるのとはどっちが出汁がでるか。母は俄然として半分を主張していますがとなりのおばさんは同じだと主張しています
私は子供心に「おんなじだ!、何てくだらない事を言ってるのか」と内心思っていました。大人になってテレビの料理の時間に、「半分に折っていれて下さい、そのほうが出汁が出やすいです」と聞き、あの時の母の言い分は正しかったのかと、亡き母を思い出しました。
20622
不老川の側道はいつもお花が一杯です。ビワの木

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思い出 屁のつっかえんぼ 2020/6/15

思い出 屁のつっかえんぼ 2020/6/15
この言葉聞いたことがありますか?
かなり前の事、連れ合いは鎌倉に行った事がないと言うので、朝、思い立って鎌倉に出かけた。我が家からは結構便利に行ける。土日は朝一本のみ直通電車があるから、それに乗れば良い。
北鎌倉近くの大きな寺には大勢の観光客がズラズラと並んで歩いている、我らもその中の一人。後方から家族連れらしい人達が横並びで歩いてくるその時の会話が「こんな寺、見ても屁のつっかえんぼにもならない」と言う、それは私には意味不明で連れ合いを見ると 吹き出しそうである。
どうやら、寺に興味のない老婦人の言葉であったようだ。連れ合いに聞くとこの言葉は昔からあったと言う。「役に立たない」との意味。そうか確かに「つっかえんぼ」などしたところで「屁」は出るからな といやに感心しておばさんでした。
205312-1 鉢植えのハイビスカス 蕾を持って咲くのを楽しみにしていると首の部分からポロリと落ちるどうした事か難しい花殿です

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記憶 2020/6/8

記憶 2020/6/8
記憶とは面白いもので内容によっては時間が忘れさせるのもあり、反対に思いださせる事もある。今朝テレビを見ていて、こんな風景見た事がある。と思って考えていると、そうだ氷見の海岸で食事をしたレストラン、少し高ったが旨かったと思いだし、その付属のようにアレコレと止めどなく、その時の旅行コースなど思いだす。金太郎温泉で泊り近くの海鮮市場では昨日獲ったという小さな海老をサービスに貰った「火を入れて食べてね」と注意書きまでいれてあった。等と浮かんでくる何かに関連して思いだしてくる、がそれも又楽しい と言う事は歳を一杯重ねた事に少し満足している自分である。
205312-2
これなんだと思いますか?役立たずな(まずくて)我が家のグミですで。可愛いので大事にされている我が家の立木の古株です

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サツマイモ 2020/5/20

サツマイモ 2020/5/20
戦後の食糧事情は経験したものでなければ なかなか理解できないであろう、そうかといって自分が経験したとは言えない終戦時にはまだ4才である。
当時サツマイモは貴重な食料品である栽培期間が3カ月少しで収穫できるから手っ取り早い食料であったと思う。一個の元から芋づるとはよく言ったものでズラズラと土の中から出てくる。
そのサツマイモは子供の頃「イモ飴」としてどんな加工をしたか知らないが、なかなか旨かった記憶がある今では一向に見当たらない。
ふかしたサツマイモの鍋底には茶色のあめ色をした液体が残るがこの液体に連れ合いはかなり鮮明に記憶に残る思い出があるとの事。その茶色い液体を母親が、「これを飲め」と言われて自分はこれで死ぬのではなかろうかと思ったという。当時父を戦争で招集されて病気で帰ってきて間もなく病死したために、大変な苦労の真っただ中、10才は越していたであろう少年はきっとそんな思いがあって覚えていたのであろうが、その時の味は覚えていないという。
Ayameki 新河岸川緑道の散歩道にて

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思い出 味噌 2020/5/17

思い出 味噌 2014/11/7記 
我が家は味噌味の食べ物は大好きである。だいぶ昔、日帰りで湯西川に行った時に名旅館の横に倉作りの建物前「お味噌」と看板が立っていたので入ると良い香り、味噌が樽に入って富士山のように三角になっている。1kg 1000円 少し高い、いや大いに高いと思いながらも2kg購入。我が家といつも土産を貰う、ご近所さんの分と。
高い高いと思ったその味噌は今までに味わった事のない美味で差し上げたご近所さんからは大変褒められたのを覚えている。
印象に残る今までの味噌でその次は会社仲間から秋田の横手出身の方から田舎から送ってきたという味噌も大変に旨かった。又息子の結納の時に泊まった岩手水沢の旅館の味噌汁も逸品であった。「売ってもらえないか」と頼んでみた、困った顔のおかみさんを思い出す
我が家好みの味噌は田舎の素朴な香りのあるのが一家共に好きなようである。
Img_20200501_160317
散歩途中の歩道にて 名前はあやふゃだが ギボウシの一種か?

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思い出 大当たりと妹の誕生 2020/4/25

思い出 大当たりと妹の誕生 2014/11/5記
昭和25年の暮れの事、疎開先の田舎で(疎開でも両親は終の棲家となったが)母は大きなお腹で、福引のくじ一等賞を当てた。意気揚々と竹竿にまるで旗のように100円札を10枚張り付けた のぼり を掲げて帰ってきた。父の喜びようは凄く、今でもあの光景は目にうかぶ。父はその旗に拝むようにして手を合わせた。当時の1000円は今の幾らぐらいなのか、きっと父は「これで一杯飲める」と思ったのではなかろうか。妹は昭和26年1月7日生まれ、その正月元旦に私と弟を連れて父は父の弟の家、東京、東十条の家を訪ねている。そこで又面白い記憶がある正月なのに弟の家にはお酒が出なかったのである。事情があって父の弟はお酒を断っていたようだが、あわてて買いに出たが、正月元旦の事店は休みのようだった。酒好きの父にとっては機嫌の悪いのは当然で、あくる日に田舎にかえってきた記憶がある。
どうして出産まじかな母がいるのに この時期に東京に行ったかは謎であるが我が家に帰宅して、いまだに生まれていない事を残念がっていた記憶がある。昭和26年1月7日夜中に妹は生まれた。
Img_2791 ステーホームです何処にも行けません兎に角今はコロナばい菌との戦いです。家の花ばかりの画像です

 

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思い出 トイレ掃除の話 2020/4/24

トイレ掃除の話 2014/11/3記
もう半世紀も昔の事、娘は3才か4才か?私は確か大きなお腹をしてトイレ掃除をしていた
その様子を階段に座って見ていた娘が「ママ、大きくなったら便所の掃除してやるね」と言う
おそらく大きなお腹を腹ばいになって苦しそうにしていたのだろう。それから十何年かたって
その事を娘に言うと「言った覚えはない」と口をとがらして言うので少し心寂しく思った。トホトホホホホ
Img_2780
トイレに飾られた都忘れ

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